寺院のご紹介
平安時代末期の文治2 年(1186)から戦国時代の末期まで約400年に亘って徳田の地(現志賀町)に居住し、四隣に勢を張った豪族、得田氏の菩提寺として創建されました。得田氏滅亡と共に衰退しましたが、江戸時代中期の安永4年(1775)、三階村の住人北村源右ヱ門恒吉が現地に移転させて以来238年を経ています。移転に伴い、恵眼寺24世の雪岩梅條が招かれ、徳雲寺4世として開基したといわれています。
寺院の歴史

徳雲寺を菩提寺として創建した豪族の得田氏について
①治承・寿永の内乱(=源平合戦の頃)源頼朝の挙兵(治承4年・1180年)に引き続き源義仲が挙兵して京都へ。源氏興隆の流れに乗って各地の武士がこれに予(くみ)し、能登では平氏方の目代(もくだい)が能登武士の動きに動揺し任地を捨てた。この後、義仲の支配が進み、義仲は得田氏初代武士の得田章通(のりみち)に羽咋郡・得田保などの地頭職(じとうしき)を与えられた。

得田氏は徳田の地(得田村)で約400年居住し、四隣に勢力を張っていましたが、滅亡とともに徳雲寺も衰退しました。
江戸時代中期の安永4年(1775年)に、三階村の住人北村源右ヱ門恒吉が徳雲寺を現地に移転させ、恵眼寺24世の雪岩梅條が徳雲寺4世として開基したといわれています。
寺院の特徴
さまざまな歴史的寺宝がある寺院です
徳雲寺の寺仏(寺宝)である「一面六臂(いちめんろっぴ)如意輪観音菩薩(にょいかんのんぼさつ)座像」は石動山合戦の際に類焼を恐れた石動山天平寺の僧「道隆」が担いで持ち出し、現在の徳雲寺近くにあった「六角堂観音」に安置し、本尊としたと伝承されています。

「釈迦牟尼仏」
「高祖承陽大師」
「太祖常済大師」の一仏二祖が安置されている

寺宝 「一面六臂(いちめんろっぴ)如意輪観音菩薩(にょいかんのんぼさつ)」

無縁仏供養石造祠

芭蕉塚 「一万句興行杉月庵五橋」※代々加賀藩の十村役だった北村家九代の源五吉信の法名が「杉月庵」なので同人が発句し一万句の成就記念碑として建立されたものと考えられている。

一面六臂(いちめんろっぴ)が納められている

一仏二祖

鐘楼

六地蔵
寺院について
アクセス情報
曹洞宗 北斗山 徳雲寺
〒926-0835 石川県七尾市西三階町ウ部50の1
連絡先(徳雲寺 東京分院) 042-461-0866 FAX042-461-9248
駐車場あり
徳雲寺 西東京分院 金剛寺
徳雲寺の分院として東京都西東京市に「徳雲寺 西東京分院 金剛寺」があります


こんにちは
先日、こちらの館長さんの昔の教え子さんとお会いして、徳雲寺さんのことをお伺いしました
実家が七尾ですので、ご縁があるなあと思いました
もし拝観させて頂けるようでしたら、お参りさせていただきたいと思い連絡差し上げました
木田惠子様 お問合せを頂き誠にありがとうございます。七尾にご実家があるとのことでご縁を感じております。しかし残念なことに松本好市僧侶は退職し、現在七尾の徳雲寺は無住の状態で閉まっていることが殆どでございます。その為現地でお寺をご案内できる者がおらず大変申し訳ありません。
お寺の境内などを周って頂くことは構いませんので、よろしければお出かけくださいませ。また何かございましたらご連絡いただければとおもいます。
徳雲寺 住職 石毛泰道